モテ期なんてものはない
女性同士がいわゆる恋バナをするのは珍しいことではないだろうけど、いいオトナの男が真面目に
恋愛について語り合うなんていうのは、人によっては、そんなものけしからん、だとか、もっと
天下国家を語るべきである、なんて考えもあろう。
で、実際に男同士でそういう話をしても楽しい会話を出来る人というのはかなり人数が限られている。
自分のことを棚に上げて勝手なことを書かせてもらうと、例えば品のない人と恋の話をしても全然
楽しくない。
また、知性の高くない人と話をしてもやはり楽しくない。
(完全に自分のことは無視して言いたいこと書いてますが)
特に恋愛には、その延長線上にHなことも出てくるので、品がない人だと、ひたすら露骨にそっち
系の話をしてしまうことがあり、それは白ける。
一方でインテリジェンスの高い人は、皆まで言わなくてもユーモアでその先を想起させることを
示唆させたり、或いは、時に恋愛で人が冷静さを失うようなことについても、楽しくでもわかり
やすく伝えることができる。
ただし、話していて説得力があるかどうか、という観点を加えてしまうと、更にその対象となる人
(楽しくて説得力がある人)は限られてしまう。
そんな数少ない人というのは以下の2つのタイプに分けられる。
①自らが、数多くの色恋沙汰を体験していて、しかもその酸いも甘いも知っているタイプ。
②自らの経験は限定的であるけれど、ある状況のせい(職業柄とか)男女も恋愛の機微をそれ
こそ数百数千と見聞きしている人。
特に僕が時々寄らせて頂いているBARの店主は後者にあたる。
当然、仕事柄知り得た、お客さんの具体的な話について言及する訳にはいかないから彼の中でその
状況なり設定を変えてしまって、その元のエピソードが誰のものかはわからないようにした上で、
エッセンス だけを教えてくれるのだ。
彼の言葉で目からウロコが落ちた話に「モテ期なんてものはない」というものがある。
僕の実体験でいうと、確実にモテ期というものはある、という実感があった。過去の経験上。
しかし、彼に言わせると、それはそういった周期的なものではなく、単にフェロモンの量が多く
出ているかどうかの問題だという。
いっぱい異性に触れて、良い恋愛をしていると、それが異性のアンテナを刺戟し、更に異性が
寄ってくる。当然それは時期的に重なるという、現象面から見ると同じでも周期性に説明を求める
のではなくあくまでもフェロモンの分泌量(あるいは放出量)に依るという説。
これはこれで説得力があり、僕は腑に落ちていた。
しかし、先週お邪魔した時にもう1つ似たような話を彼に聞いてみた。
「運気には好調な時期と不調な時期とがあると思うか?」と。
彼は躊躇なく即答した。「そんなものないと思いますよ。」と。
これは、星占いを毎朝気にするような小さな男(僕)には衝撃だった。
しかし、実はつくづく納得させられてしまった。
世の中には0学占いだとか六星占術とか周期性をベースに説明する占いがある。
僕のビジネスマンとしてのキャリアが20年を超え、その中で幾つかのハイライトがあったとして、
この周期を当てはめて考えると、全く当てはまらないのだ。
運勢が12年で一番良いとされる年に何も成果が出なかったり、運勢が最悪という年に、ものすごい
大きな成果を上げたりと、全く合致しないのだ。
一方で、永年に渡って第一線で活躍を続ける人というのもいる。僕の好きな上原ひろみちゃん
なんていうのはデビュー以来ずっと快進撃を続けて10年近く経つ。これも周期説だけでは説明が
付かない。
彼は淡々と言った。
単に実力があって成功している人の周りには次々と運が舞い込むし、ダメな人の周りにはいつまで
経っても何も寄ってこない、と。
最近、仕事面でエンドレスのトラブルが次々と舞い込んでくる状態が何ヶ月も続いていたので、
それを周期説で気休めとしよう、という潜在的な意識が僕の中に在った。間違いなく在った。
しかしそうではない。僕の実力が及んでいないだけなのだ。
寧ろ、そう考えると気が楽になった。周期ならば、ある一定期間、物事を諦めなければならない。
しかし、時間は関係なく実力の問題だとするならば、どうにかなるということである。
モテ期の話から少し飛躍したけれど、ついこの前会った元部下の女子から、今から3-4年前の今更
聞かされてもどうしようもない話を聞かされたされたばかりで、そんなこともありふと考えてみた
のだ、色々と。
そして、思った。苦しいけど、もう少しだけ仕事、頑張ろう、と。
なんだか、わかんない文章で申し訳ないけれど、これはひとりごとのblogなので、まぁ適当に
スルーして下さい。
そして、店の中にはPriscillaの歌うアンニュイなStars Fell On Alabamaが流れていた。
La dolce vita
仕事を通じて知り合った男女数名が、田園都市線のある駅から地上に出ると、周囲はそぼ降る
粉糠雨で白っぽく霞んでいた。既に太陽は西のビルの陰に隠れてしまっていて、あたりは黒と
紫の中間色にゆっくりと染まり始めたところだった。
その数名の中で、ずっとこの本職ではない僕の仕事をその右腕としてサポートしてくれている女子
を相傘に入れて、駅から北に5分ほど歩くと、目指すイタリアンの店があった。
僕がそこを訪れるのは2度め。
しかし、それからは既に3年以上の月日が流れていて、あの頃僕の周りを構成していたいくつかの
キーとなる要素は全てどこかへ去ってしまっていることに気づいた。
人生とはそうやって進んでいくのである。
この夜は、とある媒体に載せる文章の取材のためにやってきたので、メモを取ったり、写真を撮る
メンバーを尻目に、僕は無責任にもグラスを満たしていたワインをどんどんと胃に流し込んでいた。
そして次々と料理が饗される中で、僕は独り、少しだけ違うことを考え続けていた。
あまり陽気に色々なことをみんなと語り合う気分では無かったのだけど、立場(編集長)的に、
この夜の食事には僕も付き合わなければならなかったのだ。
だからといって、こんなふうに窓に一番近い席を取って、ずっと考え事に耽っているのは、いい
大人がやることではない。
それはわかっていたのだけれど、致し方なかったのだ。僕は少しだけ疲れていたのかもしれない。
店に入って、ほぼ全ての食事を食べ尽くした僕らは既に3時間近くそこにいたのだと思う。
それくらい時間が経つと、10名くらいいたメンバーも3つくらいの塊にわかれてそれぞれ同時進行
で異なる話題についてグラスを重ねていた。
そして、やや個人的な話題に踏み込める程度には酩酊していた。このチームが編成されてから丁度
一年近くが経ちつつあったので少しではあるけれど、気を許しつつある部分もあったのだろう。
何人かが、自分の過去の恋愛に関する話題を披瀝したところで、僕が駅からの道を一緒に歩いた
Rが口を開いた。
「私、女の人を抱いたことがあるの。」と。
彼女は、小柄でとてもチャーミングな女性である。レズビアンなのかと思いきやそうではなくて、
大学時代を過ごした米国で、ある時ルームメイトだった女性と部屋にいる間になんとなくそうなって
しまった、とのことだった。
僕はアタマの中で、文字には出来ないような卑猥なことをグルグルと想像してみたりした。
数カ月後、この夜のお店について書かれた文章を含めたこの号も無事に発行された。
世の中では当然とされる前提や社会常識と、リアルに世の中で起きている恋愛沙汰だったり、男女
の営みだったりすれ違いは時に全く相容れない。
でも、オトナになるということは、そのギャップを理解した上で、その差をコントロールする上で
必要な痛みを全て自分で全てを引き受けた上でそれを良し、とすることなのかもしれない。
当然、そういうことが全く向いていない大人もいるだろうし、或いはそんなことを、想像だにした
ことも無い人達もいるだろう。
でも、そんなことがわかって、そしてそういったことと裏腹にある、刹那的な喜びだったり、密か
な精神的、肉体的な繋がりを大切にできる人とできない人がいるとしたら、僕は前者でありたいと
考えているのだと思う。
そして、その甘い生活が、より大きくて強いストレスやプレッシャーに満ちた仕事をこなしていき、
より高いパフォーマンスを発揮する上で不可欠な物なのだと思う。
そう、ビートルズも歌っていた。All You Need Is Loveなのだ。
It's just a silly phase I'm going through...
10年以上の時を経て、昔の職場のreunionがあった。
当時、気にならない、と言うと嘘になる女性がいた。一時はとても仲が良く、一緒にランチに
行ったりするような仲だった。
休日、僕の家に遊びに来たこともある。とても美しい人だった。
彼女には片思いしている相手がいたことを僕は知っていたので、当然僕の想いは着地点を失った
気球のように、いつまでも空中に浮かんで、ごくたまに、風に吹かれてゆらゆらする程度だった。
いつもは仲良く数名のグループで行動していた。上記のランチにせよ、2人きりということは
なかったし、休日遊びに来た時も、飽くまでもグループ数名でやって来たのだった。
2人っきりになるような状況になると、僕は柄にもなく意識してしまい、不器用な中学生の男子
生徒みたいに緊張してよそよそしくしてしまったものだ。
当時はまだ20代だったし、高校を男子校で過ごしたこともあり、こんな僕でもそんな時代があった
ということだ。
そして今回、当時の役員の方の定年ということもあって、その頃のメンバーのおよそ半分ほどが
集まった。
大手企業の資本が入っていたとはいえ、当時はベンチャーみたいなもので社員数も数十名程度
だったのだけど、今や一部上場を果たし、僕みたいに粋がって辞めた奴を除けば、残っていた社員
はほとんど皆が、IPOで数千万円以上のキャッシュを手にした筈だ。
尤も、残っている奴らはその資金を元手に起業したというのは僕の知る限り1人くらいで、後の奴
らはそれを頭金にしたりして家を建てていた。
そんなような会社である。
飛び出した人達は、今やあちこちで活躍していて、今回奇しくもそれが浮き彫りになった。
10数年ぶりに、会う懐かしい顔々。
男子校の同窓会で既に体験はしていたけれど、もはや青年とは呼べない年齢に差し掛かった男性の
外見というものは、頭髪の残留量と、一方で脂肪の貯蔵状況によってもう、すっかり誰が誰だか
分からなくなってしまうものだと改めて驚く。
そして、後輩だった女性が、すっかりオバチャンになっていることにすごく驚く。なんだそりゃ?
という感じである。
特に、当時新卒で入ってきて、当時はかなりファッショナブルな印象があった子が、既に専業主婦
になって数年経つらしいのだけど、えぇ!ってほど変化していて、時の流れの残酷さを思い知った。
大体オマエ、そんな眉の描き方はねーだろ?ってツッコミそうになった。
相手が将来どんな風に老けるかだなんてわからないもんなぁ。。
そんな中、気がつくと、冒頭で書いた女性が参加しているのに気がついた。
年齢はもう30代後半になるはずだが、とても綺麗で、見た瞬間に当時を思い出した。
当時から男子社員に人気があったが、今回は主にその会社を既に辞めてしまった男性たちに
囲まれて話していた。
やがて、当時一緒にランチに行っていた僕と親しくしていた男がやって来て、僕の手を引っ張って
「ほら、お前も◯◯ちゃんと話してやれよ。」と促したのだけど、僕はそれに従うことが出来
なかった。
会社を辞める少し前、どういう経緯だったか覚えていないが、彼女と二人きりで夜の新宿の地下道
で話をしながら歩いたことがあった。彼女は男にフラれたばかりだという話を涙ながらに話した。
その相手というのは、その会社の同僚で僕の後輩だった。
その二人の関係は社内には誰も知っている人がいない、と言いながら、彼女は、彼にフラれた経緯
を説明した。
実はその時、僕も当時の彼女にふられてかなり精神的に傷ついていた時だった。それは、僕にとって
人生最初の、唯一と言っても良いほどの、かなり手痛い失恋だった。その夜はいつまでも、2人で
そんな話をしながら夜道を歩いた。
その後、その会社を辞めるまでの間、僕はとある大型のプロジェクトのアサインメントを受けて、
自分の会社には殆ど顔を出すこともないまま半年程を経て、会社を辞めた。
その時の事が急に頭を過ぎったのである。
そんな記憶、もう10年以上もすっかり忘れていた。
そして今回、他の女性が皺々になり、変な眉毛を描くようになって笑い方もガハハハハとなって
いた中で、昔のような雰囲気をそのままの彼女の姿を見たら、僕は一気に当時の緊張をリアルに
思い出し、そしてどうしても自然にその会話の環の中に入って行くことが出来なくなってしまった
のだった。
自分にも、こんな一面が残っていたんだ、というその事実にとても驚いた。
その後、僕がずっと会場の端のテーブルで、同世代の数名で話をしていたら、「ぁ!」という声が
して気がつくとその彼女がまるで幽霊でも観るような目をしてこちらを見ていた。
確かに、過去数度あったこの会合に、僕はこれまで一度も顔を出して来なかったのだ。
一瞬、間が開いて目が合ったけど、僕の口から適切な言葉が出てくることは無かった。
そんな十数秒の後、彼女はすぐに別な方へ行ってしまった。
Reunion partyが終わる直前に、店内に1つしかないトイレに行くと、その前に1人だけ並んでいた
のが彼女だった。そして、そこで10年ぶりにひとこと、ふたこと言葉を交わしたが、彼女は僕を
避けるように、すぐに場所を移動してしまった。二次会へと向かう集団と一緒に、その日の主役の
元執行役で現副社長と話しながら六本木の交差点まで一緒に歩いたところで、僕は挨拶をし、振り
返らずにタクシーに乗り込んだ。
既に振り切った過去に不意に遭遇してしまって動揺した心から過去を再度断ち切るためだったの
かもしれない。
そして、僕は通いなれたBARのカウンターに滑りこんで、ほっとひと息ついたのだった。
オトコってそんなものなんですかね。
ということで、タイトルは、ある曲の歌詞である。
まぁ、そんな感じです。