La dolce vita
仕事を通じて知り合った男女数名が、田園都市線のある駅から地上に出ると、周囲はそぼ降る
粉糠雨で白っぽく霞んでいた。既に太陽は西のビルの陰に隠れてしまっていて、あたりは黒と
紫の中間色にゆっくりと染まり始めたところだった。
その数名の中で、ずっとこの本職ではない僕の仕事をその右腕としてサポートしてくれている女子
を相傘に入れて、駅から北に5分ほど歩くと、目指すイタリアンの店があった。
僕がそこを訪れるのは2度め。
しかし、それからは既に3年以上の月日が流れていて、あの頃僕の周りを構成していたいくつかの
キーとなる要素は全てどこかへ去ってしまっていることに気づいた。
人生とはそうやって進んでいくのである。
この夜は、とある媒体に載せる文章の取材のためにやってきたので、メモを取ったり、写真を撮る
メンバーを尻目に、僕は無責任にもグラスを満たしていたワインをどんどんと胃に流し込んでいた。
そして次々と料理が饗される中で、僕は独り、少しだけ違うことを考え続けていた。
あまり陽気に色々なことをみんなと語り合う気分では無かったのだけど、立場(編集長)的に、
この夜の食事には僕も付き合わなければならなかったのだ。
だからといって、こんなふうに窓に一番近い席を取って、ずっと考え事に耽っているのは、いい
大人がやることではない。
それはわかっていたのだけれど、致し方なかったのだ。僕は少しだけ疲れていたのかもしれない。
店に入って、ほぼ全ての食事を食べ尽くした僕らは既に3時間近くそこにいたのだと思う。
それくらい時間が経つと、10名くらいいたメンバーも3つくらいの塊にわかれてそれぞれ同時進行
で異なる話題についてグラスを重ねていた。
そして、やや個人的な話題に踏み込める程度には酩酊していた。このチームが編成されてから丁度
一年近くが経ちつつあったので少しではあるけれど、気を許しつつある部分もあったのだろう。
何人かが、自分の過去の恋愛に関する話題を披瀝したところで、僕が駅からの道を一緒に歩いた
Rが口を開いた。
「私、女の人を抱いたことがあるの。」と。
彼女は、小柄でとてもチャーミングな女性である。レズビアンなのかと思いきやそうではなくて、
大学時代を過ごした米国で、ある時ルームメイトだった女性と部屋にいる間になんとなくそうなって
しまった、とのことだった。
僕はアタマの中で、文字には出来ないような卑猥なことをグルグルと想像してみたりした。
数カ月後、この夜のお店について書かれた文章を含めたこの号も無事に発行された。
世の中では当然とされる前提や社会常識と、リアルに世の中で起きている恋愛沙汰だったり、男女
の営みだったりすれ違いは時に全く相容れない。
でも、オトナになるということは、そのギャップを理解した上で、その差をコントロールする上で
必要な痛みを全て自分で全てを引き受けた上でそれを良し、とすることなのかもしれない。
当然、そういうことが全く向いていない大人もいるだろうし、或いはそんなことを、想像だにした
ことも無い人達もいるだろう。
でも、そんなことがわかって、そしてそういったことと裏腹にある、刹那的な喜びだったり、密か
な精神的、肉体的な繋がりを大切にできる人とできない人がいるとしたら、僕は前者でありたいと
考えているのだと思う。
そして、その甘い生活が、より大きくて強いストレスやプレッシャーに満ちた仕事をこなしていき、
より高いパフォーマンスを発揮する上で不可欠な物なのだと思う。
そう、ビートルズも歌っていた。All You Need Is Loveなのだ。